辨太郎日誌

特許・商標・意匠・著作権などなど知財を絡めて

実務ができるのは当たり前、どうやって差別化するのか

久しぶりに琴線に触れた書籍にめぐり逢った.

普通ならスルーしてしまうようなタイトルなのに、なぜか虫の知らせがありました.

マーケティング特有の市場の定義が目に入ったとき、またこの話かと思いながら読み進めていくと、「価値の4象限」という聞き慣れない言葉が目に入った.

実利・保証・評判・共感という切り口で「価値」を提供するというフレームワークが、弁理士のマーケティングを考えるときに役に立つ.

 

弁理士に限らず専門家という人たちは、実利価値は提供できて当たり前、同じ実利価値なら国家資格者が提供していれば保証価値も提供できる.

士業は、誰もが実利価値と保証価値を提供できているわけだから、これだけで差別化を図ることはできない.

そんなことは分かっているけど、自分を含め多くの弁理士が、実利価値を最大化するための努力をしている.

 

一方でSNSで炎上気味の士業も最近はいる.

この類の人たち、自分には大言壮語な振る舞いにしか見えず、品位を落としているとしか思えなかった.

「かった」と過去形にしているのは、いまは考えが変わったのだ.

価値の4象限というフレームワークから分析すると、この方たちは、しっかりマーケティングをしているのである.

 

専門家を選ぶ基準が実利ではないことは興味深い.

そもそも実利で選びたくても、それを判断することなんてできない.

実利以外のもっと分かりやすい価値を提供している専門家が選ばれる.

いや〜マーケティングとは奥が深い.

 

本人訴訟のススメ

訴訟するなら弁護士を選任するというのが暗黙の了解.

訴訟手続きが細かすぎて代理人を立てずに訴訟に望むなどということは考えれない.

というのがこれまでの認識だった.

 

ところが実際に本人訴訟の口頭弁論を経験してみると、これまでの考えを改めなければならないことを痛感する.

 

巷の意見、おおかた職業代理人の意見ではあるわけだが、本人訴訟にメリットは全くない、というのが大多数.

本人訴訟だからと言って裁判所は容赦しないだそうだ.

 

果たしてこれは本当だろうか.

もしこれが本当なら職業代理人が付いた相手方に勝てるわけがない.

プロとアマがハンディを設けずにやるゴルフと同じなのだから.

 

ところが裁判所は本人訴訟の当事者に対してとてもフレンドリーなのである.

なぜこんなにもフレンドリーなのかを弁護士に聞いてみると、十分な弁論の場を相手側に与えて審尋を尽くしたいというのが、その理由らしい.

 

裁判所が十分な審尋ができないことは本人訴訟を選んだ当事者側にある.

そんな口頭弁論で、十分な審尋を尽くそうと思ったら、裁判所は本人訴訟の当事者に助け舟を与えざるを得ない.

 

さらに本人訴訟の相手側は、職業代理人が相手のプロ同士の戦いには慣れているが、アマチュア相手には滅法よわくなる.

相手の突拍子もない主張に対して応戦を強いられるのだから、とてもやりにくいだろう.

 

そしてもう一つは、知財のような特殊な分野は、裁判所もよくわからず、弁護士もよくわかっていないという事情もある.

 

自分のことは自分が一番よくわかっているわけで、代理人をつけたからと言って必ずしも裁判で有利になるとは限らないし、なんと言っても弁護士費用は高い.

 

橘玲氏「臆病者のための裁判入門」という、氏が外国人の保佐人として裁判に望んだときのことを書いている興味深い著書がある.

 

 

 

保佐人って簡単になれるのか、と思ったものだが、職業としてではなければ誰でも保佐人になれるらしい.

幸いにも弁理士は、知財事件について「職業」保佐人になることができる.

 

本人訴訟のススメと言いながら、弁理士保佐人を宣伝していて恐縮だが、知財のような専門案件は、引き受ける弁護士も少ないわけで、だったら本人訴訟を挑戦してほしい.

そのときは弁理士を保佐人に選任することを忘れずに.

ディーラで入った自動車保険が使いづらい

自動車保険なんてネット経由で簡単に申し込める時代なのにわざわざディーラ保険に入ってしまったが運の尽き.

どうしてディーラ保険にしたのかというと、担当営業マンに保険に入ってくれと懇願されて、まあ値段もそんなに変わらなかったので軽い気持ちで入ったみたというだけ.

営業マンのノルマの助けになるなら、まあいいかと思ったが、その後、その営業マンは退社してしまった.

 

このディーラ保険というのは、更新するだけで何もしなければ問題はないのだけど、ちょっとなにかをしようとすると途端に面倒臭くなる.

保険会社に直接連絡して手続きをすることはできるにはできるが、代理店を経由するのが原則なので、まず代理店を通さなければならない.

さらに代理店とは名乗っていても、あくまで本業は自動車販売であって、保険のプロではないから、イレギュラーなことを聞いても答えが帰ってこない.

今回のトラブルは、そんな代理店がチョンボをして、その後始末を自分がやることになったのだけど、この度、ようやく処理が終わった.

今回、三井住友のなかの人に助けられて事なきを得た.

なかの人はとても好感が持てるし対応も早くてリピートしたいところだが、代理店経由しか保険を扱わないという.

 

しかたなく三井住友を解約するのだけど、3年契約の保険ということもあり、これも厄介そう.

 

代理店を介在させることで保険料が高くなるこの類の保険は、ネットで簡単手続きができる今の時代メリットがないから、利用する価値はまったくないのだけど、営業マンの懇願を排除できなかったあのときの自分が情けない.

 

代理をしてもらってデメリットになるようでは何のための代理なのか.

弁理士も代理業、このことは肝に銘じておこうと思う.

特許は公開されるから嫌だという正しい誤解

異業種の集まりで特許が話題になることは(ほぼ)ないに等しい.

話題になるということは興味があり、それなりの知識があって成り立つものだから.

そんな特許を話題にしてくれるありがたい士業の人がたまにいる.

そのほとんどは「特許って公開されるから嫌がる人が多いんですよね〜?」

弁理士同士の集いでは絶対に話題にならない会話である.

 

説明すると長くなるし、説明しないと彼らのクライアントに誤った情報を提供することになるから無視するわけにはいかない.

特許→公開という、正しい知識、誤った理解をどうやってほぐしていくべきだろうか.

 

特許明細書に本当のことを書く人はいない、と言ったら、特許に嘘を書くのかという誤解を招く.

そのあたりの塩梅は実務をやっていないと理解できない.

軽い会話で説明しきれるものではない.

アライアンスが進む自動車業界の先は暗い

むかし日本のエアーで帰国したいと思い日本航空を予約したことがある.

鶴のマークの機体を想像していたのだが、ブリッジに接続されていたのはコードシェアの中国東方航空だった.

 

これと似たことが自動車業界でも始まっている.

輸入車を買ったと思ったら中身は日本製.

信頼性が高い日本製部品を使っているのだからそれはそれで良いのだけど、

最近はパーツ使用に収まらずシャシーも共通化している.

 

カルロス・ゴーンで注目された日産とルノーのアライアンスは、これに三菱が加わって、同セグメント車のシャシーは共通化され、主要パーツも共通、ボディーだけが若干違うだけ.

 

プジョー、シトロエン、フィアットのステランティスは、これにジープも加わり、アメ車なのに欧州車という歪なクルマができあがっている.

 

輸入車に乗るということは、その国の文化を日本で楽しむための簡単な方法である、とは、自動車エンジニアの水野和敏氏の名言.

最近のクルマは中身和製のなんちゃって輸入車だから、だったらわざわざ高いお金を払ってまで輸入車に乗る必要はない.

 

最近のクルマはどれも同じでつまらなくなったのは、アライアンス化でクルマの個性がなくなったことにも理由がある.

例えば、イタフラ車は性能や信頼性は低いのに人気がある(あった)のは、人の感性に訴えるから.

ドイツ車のように性能が高いわけでもなく、日本車のように信頼性が高いわけでもないクルマでも、それらのクルマにはないなにかを持っている.

カタログ上の数値だけで比較すれば何一つとして及第点はないにもかかわらず.

 

自動車産業のアライアンス化は、工業製品としては良くても嗜好品としては悪手.

悪いところを潰していく、良いところを取り入れていく、コストを削っていく、こういうことを目指していくと、どれも同じような製品ができあがる.

結局、アライアンスの規模が大きいほど、安くて信頼性の高い工業製品を作ることができる.

クルマがEV化すれば個性を発揮できるところはさらに少なくなる.

あと10年もすれば自動車業界は、3つ程度もアライアンスに収束するのだろう.

資格剥奪の危機!経験より研修が重視される弁理士

「わかる」ことと「できる」ことに大きな隔たりがある.

勝間和代さんの本をパラパラめくっていたら、こんなフレーズが目に止まった.

 

わかる人の頂点が学者であり、できる人の頂点が実務家.

弁理士は実務家だから、求められていることは実務ができること.

そして実務ができるようになるためには経験が必要で、「研修」では身につかない.

 

弁理士界隈に限らず士業界隈で研修制度というものが創設され、一定期間内に単位の取得を義務付けるようになった.

経験豊富な弁理士であっても研修を受講して単位を取得しなければ資格剥奪になる制度である.

一方、経験がなくても単位を取得さえすれば弁理士であり続けることができる.

 

本末転倒な気がしてならない.

 

実務を経験する機会に恵まれないから研修を受講する、いやそれは違う.

実務を経験する機会に恵まれないから環境を変える、これが正しい.

 

毎日のように配信される研修の案内メールをみて思うことを吐き出してみた.

昭和の名残、転出届はいつまで?#

転出届を出してきた.

これまでの人生、一体、何回、転出届を出したのだろう.

そして思うことは昭和の時代から全く変わっていないこと.

もう21世紀になって四半世紀が過ぎようとしているのに、やっていることは昭和と何ら変わらない.

申請する自分は数年に一度だから良い.

でもこれを処理する役所の人は、一日中、同じことをしている.

最先端を走っているだろう福岡市でさえ、まったく非生産的、非合理的な手続きのままなので、他の自治体も同じだろう.

予想通り、転入届を出した福岡市の郊外の自治体は、福岡市よりも利用者が少ないにもかかわらず、実に3倍もの時間がかかった.

アプリでできる手続きを窓口でやるということを一体いつまで続けるのだろう.

 

居住者証明

シンガポールの代理人が、インドから報酬を源泉なしで送金するためには書類が必要だというメールが届いた.

海外送金はどこも厳しくなりつつあるのは知っているけど、あの中国でさえ、そんな書類を要求していない.

しかも法律サービスは適用対象外の国がほとんど.

 

てっきり代理人のミスかと思って問い詰めてみるも埒が明かない.

 

中国の知人にそんな書類を提出したことがあるかと質問したところYes.

ようやくことの面倒さを理解した.

 

中国代理人からインドに送った書類もみせてもらった.

 

現地でPEがないことを証明するのは、上海にいた頃に嫌というほど経験した.

 

日本でそんな書類を用意してくれるのだろうかと思って税務署に問い合わせたら、

日本にも居住書証明書というものを発行してくれるらしい.

 

さぞかし面倒かと思って居住者証明書を請求してみた.

 

交付請求書を提出するだけで翌日には発行された.

想像以上に簡単で拍子抜けした.

 

こんな書類で現地にPEがないことを証明できるのだろうか.

 

どこの国も行政も形式的に書類が整っていれば実態はどうでもいいというかもしれない.

インドという国は、この書類を提出する前から、海外送金についてはとても厳格な運用をしていて、あの中国より遥かに厳しい.

IT先進国というイメージとは裏腹に.