辨太郎日誌

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実務研修で実務は身につかない

コロナ渦のおかげで東京まで行かなくてもオンラインで研修を受けることができるようになったのはいいのだが、研修を受けたことによりクオリティが上がっているのだろうか.

 

研修があることはいいことだし、リアルではなくオンラインで受講できることも悪くない.

しかし何かが違う.

 

思うに研修を受ける目的がボヤケているからではないだろうか.

 

オンラインで受講できる環境というのはとても素晴らしく、弁理士受験のときも講義をオンラインで受講したことがある.

予備校の一室に設置されたモニタと対面して受講する方法であるが、リアル講義と比べて効果が低いということは決してなかった.

 

このときの目標は言うまでもなく試験合格.

試験合格というはっきりした目標があり、合格したいというモチベーションも高い目標である.

 

弁理士会が行う実務研修を受講する目的は何か.

実務能力を担保するためということになっているが、「弁理士試験合格」に比べれば遥かにボヤケた目標である.

そして実務研修を受ければ実務を受けることができるようになるのか?と言えば、これは違う.

何が違うのかと言えば順番が違うのである.

 

依頼された仕事を処理するために研修を受けるというための「実務研修」なら緊張感はあるかもしれない.

しかし、将来発生するであろう実務のために受講する「実務研修」では実務は身に付かないのである.

 

実務を身に着けたいのであれば、研修を受けるのではなく実際の実務を行わなければならない.

 

経験したことがない実務であっても興味があれば、まず引き受ける.

依頼があれば完成させなければならないという緊張感が生まれる.

未経験であれば当然苦労はするが、その苦労は弁理士試験に比べればはるかに有意義である.

 

弁理士の実務能力を担保するための実務研修制度.

しかし実務研修を受講してポイントを積み上げるために仕方なく受講しているのは自分だけだろうか.

起承転結で説明する特許明細書

優れた発明も文章が稚拙であれば特許にならず.

稚拙な発明でも文章が巧妙であれば特許になる.

 

発明を文章で表現するときに、どのように頭を悩ませているのかを紹介してみようと思う.

発明を文章化するときの枠組みが存在しており、枠組みに従って発明を説明していけば、わかりやすく発明を説明することができるようになっている.

 

枠組みと言われても想像がつかないと思うので、起承転結をイメージしてほしい.

発明が起承転結の流れで説明されている.

 

起承転結がどのように機能しているかというと、

「起」で従来技術を特定して、「承」で従来技術を説明する.

「転」で発明に至らしめる理由を解析して、「結」で実施形態を説明する.

 

各パートの難易度は、結<起<承<転というのがわたしが感じているところ.

その理由は以下のとおり.

 

抽象的な発明の具体例を書くパートが「結」.

このパートを書くときは無心である.

ただただ淡々と具体例を書き下ろしいく作業を行う.

記載量が最も多くなり体力的にきついが、精神的には楽というのがこのパート.

 

「起」では、数多ある従来技術から、その発明にふさわしいであろう従来技術を見つけて書く.

「起」にふさわしい従来技術を見つけるのは意外と難しい.

最初でつまずいたら稚拙な特許明細書になってしまうから.

 

「起」で特定した従来技術を説明しながら発明へアプローチしていくのが「承」.

「承」で渾身の力を込めて従来技術を説明する必要はなく、ほどほどに書くのがいい.

従来技術を一生懸命説明したところで公知情報であり何ら新規な情報を開示しないから、ムキになる必要はない.

 

いちばん難しいのが「転」.

「転」は、それまで説明した従来技術の問題を指摘し、その問題がどのような理由なのかを技術的かつ定性的に分析するパート.

ここの分析が鋭ければ鋭いほど発明が明確になり権利範囲を正確に特定できる.

ここの分析が甘いと発明がぼやけて権利範囲の特定も甘々になる.

だから「転」は難しい.

「転」が完成すれば、あとに控える「結」は易しい.

 

「転」の位置づけを説明したあとは、その応用を説明してみよう.

「転」が詳細に書いてある明細書と、そうでない明細書がある.

後者の場合は、2つの理由があって、分析していない、理解していないから書いていない、書けないから書いていないという稚拙な理由と、敢えて書かないという戦略的な理由がある.

 

稚拙な理由は論外だが、敢えて書かないという戦略的な理由は、発明をぼやかした状態で上程するため.

特許明細書は特許審査官に発明を理解してもらうためだけではない.

競合第三者に対して有益な技術情報を無料で提供しているのである.

 

発明に至らしめる理由を分析した情報が書かれている「転」は、ここを読めば発明のエッセンスをも理解できる重要なパート.

だから敢えてその情報は書かない.

書いたとしても書きすぎない.

 

AIが特許明細書を書く時代と言われることに懐疑的である反面、ぜひとも発明の文章化を手伝ってもらいたいという好奇心.

AIが起こした明細書を分析してなるほど感心してみたい.

短文投稿のトレーニングを始める

目的もなく適当なつぶやきではフォロワーもつかず、かと言って気の利いたつぶやきもできず鳴かず飛ばずのTwitter.

せっかくつぶやくなら、ということで短文トレーニングを始めることにした.

140字で起承転結は無理としても、言葉を選んで言いたいことを伝えるためのトレーニングである.

文字制限がないブログと違って、言葉を選び、何を書いて何を書かないかを吟味しなければならないTwitterは文章にキレ味をもたせるためのトレーニングとしては最高のツール.

 

これまで文章術という本はいくつか読んではいるが、いずれも学術論文など長文を書くことを想定したもの.

そんなときにTwitterで紹介されていたのがコレ↓

 

いままで読んできた長文前提の文章術ではなく、文字どおり「3行で撃つ」ための文章術である.

 

紛いなりにも文章を書くことを生業にしているとはいえ、3行で撃つ文章を書くためには、言葉をただ並べるだけではすぐに字数制限に引っかかってしまう.

一言で10倍も100倍も表現できる表現が必要になるが、この文章術は特許明細書を書いているだけでは育たない.

もっとも技術論文として特許明細書では、三行で撃つような文章術は必要ないものの、例えば、依頼者とのメールにおいて、でしゃばり過ぎない奥床しい表現は美しい.

文章も年相応でありたい.

 

著者は新聞社出身という生粋のライター、指摘するところは琴線に触れること多数.

「琴線に触れる」というような常套句に対する苦言も呈していて、常套句を使いは猿真似以外の何物でもないとは言い得て妙.

ちょっと文章を固くしようと思ったときに常套句を持ち出せばいいと思っていたので、常套句猿真似の指摘は新鮮である.

 

日本語ネイティブだから日本語を書くことは簡単.

AIが文章を書く時代にあって、何をどのように書くのか.

短歌・俳句のような文章がその答えなのだろう.

創業融資を完済して反省と希望

1000万円弱の創業融資がようやく完済した.

なぜ創業融資を実行したのか、理由は3つ.

  1. 創業融資のチャンスは創業時しかない.
  2. 融資制度を身を以て体験したかった.
  3. 本当に融資が必要なときの信用を得るため.
創業融資のチャンスは創業しかない

創業融資という名のとおり、創業融資は創業時しか受けることができない. 通常融資と何が違うのかと言えば、事業実体がなくても申請書のみで融資が実行されること. 通常融資で必要な財務諸表も不要、個人保証も不要という最初で最後の融資を体験しないこということは、事業者としては勿体ないと考えたからである.

融資制度を身を以て体験したかった

融資を受ければ利子が発生する. この利子が市場よりかなり低いのが創業融資ということを知ってしまったのがことの始まりだった.

この不思議な超低利融資の世界にはじめて気がついたとき、それが夢ではないことを確かめるいくらか資金を借りたことがあった。それがは自治体の制度支援融資で海のものとも山のものともわからない相手に最高1000万円を実質金利0.8%で貸すという制度だった。 「橘玲著 貧乏はお金持ち「軌跡のファイナンス」章」

この著書に感化された自分は、早速、創業融資を実行することにした 利用したのは日本政策金融公庫と自治体の制度融資だった. どちらの融資を利用するかは、自治体が利子補給を用意しているか否かで分かれる.

自治体の利子補給を利用できるならば、自治体の制度融資が最も低利だからだ.

自治体の利子補給を利用できなければ、金利と保証料を加えた額は公庫と差がないので(一般的に日本政策金融公庫の方が低利)、手続きが簡素で融資が迅速な日本政策金融公庫が良い.

日本政策金融公庫のメリットは、担保、連帯保証人が不要なこと、口座に制限がないこと、担保や連帯保証人を追加すれば金利の優遇があること.

利子補給が利用できない場合の自治体の制度融資は、信用保証協会と融資窓口となる金融機関が存在するため、手続きが面倒なうえ、利用する金融機関の口座しか使えないという制限がある.

日本政策金融公庫と違い、法人代表者の連帯保証、金融機関によっては担保も必要な場合もある.

日本政策金融公庫が連帯保証不要の融資を提供していることを考えると、金利のメリットがない自治体制度融資を利用する理由はない.

利子補給がないため低利というメリットはなかったが、体験と返済実績という目的達成のため、制度融資も試してみることにした. 橘著で制度融資の仕組みを理解しておいたので、銀行側の消極的な取り組みに対しても果敢に攻めることができた.

制度融資の要は、信用保証協会の担保が得られるかどうかで決まる. 金融機関は何の実績もない創業に対して融資をしたいわけではなく、制度上、仕方なく機関として手続きをするに過ぎない.保証協会の担保さえあれば何らリスクを負うことなく金融機関としての形式的な役割を担うことができる.

融資窓口として信用金庫を選んだ.この金融機関は、定期積立の契約を求め、決算ごとに財務諸表の提出を求めてきた. 定期積立は受け入れたものの、財務諸表を提出は拒否した.銀行融資なら事業状況を把握するために必要でしょうが、制度融資は銀行が返済不能リスクを負っているわけではない.財務諸表の提出が本当に必要なら一括返済する、と言ったところ、以降、提出を求められることはなくなった.制度融資であるにも関わらず、銀行融資と同じような感覚で接してくる件の信用金庫に対して、事前に制度融資の実体を理解していなかったら、心が折れていたことでしょう.

日本政策金融公庫は利子補給という制度はないもののUターン創業などにより利率優遇がある. 創業融資を申し込んでも断られるたという特許事務所もあるようだが、自分の場合は融資可能だった. 担当者によるところが大きく、特許事務所の業務の内容を理解してもらえば大丈夫なはず. 融資申し込みから審査、実行まで約2週間というスピードだった.

本当に融資が必要なときの信用を得るため

真面目なひとほど、借金を悪と考える。必要に迫られて融資を申し込むならともかく、意味もないお金を借りるなんて言語道断、というわけだ。しかしこの考え方には重大な事実誤認がある。たしかにほとんどのひとは、必要に迫られて借金をする。だがそのときには、高利貸しを除いて誰もお金を貸してはくれないのだ。 「橘玲著「貧乏はお金持ち「軌跡のファイナンス」章」」

個人の借金と事業の借金は目的が違う. 個人の借金はしないに越したことはない.しかし事業の借金は返せるときに借りておかなければならないことを知ったのである. 事業を継続していくうえで資金ショートしないという保証はない.そのときに確実に融資を実行してもらうには、過去の返済実績が物を言うのである.

借金をすることには当時はもちろん今でもとても抵抗がある. 融資残高が0になったいま、今回の融資はしなくても良かったのではないか、という悔いもある. 融資実行当時、自分のお金ではないにも関わらず、心が大きくなって散財したからである.

そうならないことを祈っているが、今回の返済実績は、次回の融資に反映される.事業ファイナンスという視点から、一つの安心を手に入れることができた、そう考えることにしている.

発明は個性的なのに特許明細書は没個性的

先日、稚拙な特許翻訳が送られてきた.

 

日本特許庁に国内移行したあとに提出する翻訳文である.

最近は現地代理人が日本語の翻訳文を用意することが多く、今回も送られてきた翻訳文を提出すれば足りるはずだった.

提出するだけとは言え翻訳の抜けがないかくらいはチェックする.

そこで目に止まったのが「稚拙」な翻訳文である.

 

なぜ稚拙だと思ったのか.

特許翻訳のプロトコルに従っていないからである.

特許明細書は独特の表現方法があり、特許翻訳をする場合は、このプロトコルに従うことが暗黙の了解である.

特許翻訳者を名乗る以上は、当然に、プロトコルに従って翻訳をする.

 

今回の翻訳者は、特許翻訳者ではなく、日本語ネイティブではない外国人が単に英和翻訳をしたものである.

 

さて、現地に翻訳が稚拙であることを伝えたあと考えてしまった.

日本特許庁に係属している特許明細書は英語表記の明細書である.

この外国語の特許明細書が主であり、日本語の翻訳文は従という扱いに過ぎない.

その従たる特許明細書の翻訳がプロトコルに従っていない翻訳でもなんら問題ない.

翻訳に不備があれば誤訳として訂正することもできる.

 

職業代理をしている者が関与した書類はある程度のクオリティが担保されている.

内容が同じなら表現方法も似てくる.

特許翻訳に個性は求められない.

 

同じ英文明細書でも、非特許翻訳をすると、そこには翻訳者の個性が現れる.

個性的な翻訳も没個性的な翻訳も実質的な内容は同じである.

原文が同じだから当然と言えば当然である.

 

型に嵌っていない翻訳もいいではないか.

技術文章を芸術的センスを盛り込んで翻訳しても良いかもしれない.

信用取引が崩壊しつつある特許業界

売掛という日本では当たり前の商習慣

信用取引は日本以外では通用しないことはわかっているのに

外国出願人の手続きを売掛で行っている

 

特許業界では日本を含め世界中で信用取引が成立している珍しい世界

世界中の弁理士たちが長い時間をかけて築き上げてきた商習慣である

 

外国出願の件数が少ない時代、外国出願を扱う事務所も少なく

その閉じた狭い世界のなかではプロトコルを守ることが最低限のマナーであった

 

外国出願が特別なことではなくコモディティ化するにつれて

外国出願市場に参加するプレーヤも増えてきている

 

自分のような新興事務所が外国出願市場に参加できるのも

市場が大きくなったことによるところが多い

 

外国出願マーケットに参加するプレーヤのなかには

外国出願を初めたばかりの事務所や、非弁のコンサルタントも少なくない

 

そのようなプレーヤのなかには、これまで先人弁理士たちが築いてきたプロトコルを無視することも少なくない

 

アクノリッジを返さない

リマインダを無視する

特許制度を知らない

支払い期限を守らない

請求金額通りに入金されない

 

特に支払い期限を守らないというのは当たり前になっている

数十万の審査請求料を立替え払いし、その手続きに対する弁理士手数料が1万円程度では割りに合わない

遅延利息を請求するということも、これからは必要になるだろう

 

特許業界も信用取引が成り立たなくなってきている

柳川どじょうはどこへ行った

むかし行ったことがある柳川へどじょうを食べに行った.

記憶が曖昧で柳川風情がどこか忘れてしまい、ナビを頼りに市内を適当に走りようやく目的の場所にたどり着いた.

よく見かける地方都市の荒廃感は柳川市も例外ではなかった.

週末にも関わらず人影はほとんどなく、目的の柳川どじょうを食べさせてくれそうな店も早々と店を閉めしてしまう始末.

居酒屋風の店を見つけた入ってみたものの、どじょうはなく鰻だった.

 

外国人観光客が増えればこの街も活気を取り戻すのかもしれない.

ただ古き良き柳川のイメージはなく、もう柳川を訪れることもないかもしれない.

熊本の路面電車

どこへ行っても似たようなところが多い日本のなかで路面電車がある都市はそれだけで魅力的.

熊本市を走る路面電車は前回行った広島の充実した路線とは違うが、レトロ風な車両が城下町には合っている.

熊本市とここ静岡市を比較すると、政令都市、人口70万人、城下町と共通するところが多い.

ただ路面電車がある熊本市が魅力的に映るのは無い物ねだりなのだろうか.

コロナ禍で外国人観光客がいないにもかかわらず熊本城が混雑していたのが意外.

天守閣も賑わいを保っている理由なのだろう.

 

富士山という世界遺産に支えられている静岡市は、もし富士山がなければアピールできるものは何か.

工業都市の浜松市、東京通勤圏の三島市、自然に囲まれた伊豆、それに対して静岡市は温暖な気候です、では淋しい.