辨太郎日誌

特許・商標・意匠・著作権などなど知財を絡めて

11年前、上海で日本の3.11を知った

日本が地震だって.

阿姨から第一報を聞いたとき、珍しくない日本の地震を何でCCTVで大袈裟に放送しているのだろうと思いながら、テレビに目を向けると何かが爆発しているような映像が映っていた.

原発の映像というのはそのときはわからなかった.

CCTVは日本が終わったかのような悲愴な映像ばかりを流していた.

 

2〜3日後に日本に戻る予定だったが、当日までフライトスケジュールははっきりしなかった.フライト当日はダメ元で虹橋空港へ行ってみたが、チェックイン待ち行列がターミナルの外まで続いたいた.

ANAのプライオリティーチェックインで1時間ほどの待ちでチェックインできたけど、小さい虹橋の搭乗ゲートはやはり人で溢れていた.

 

搭乗すると隣の外国人が話しかけてきた.

東京の大使館の応援にいかなければならない.

東京は大丈夫なのか?

外交官もエコノミーを利用するのかと思いながら、東京と福島は離れているから大丈夫だ.

言ってはみたものの、小さい日本地図を見せながらの説明では全く信用してもらえなかった.

 

羽田に着いてからの東京は普段とそんなに変わらなかった.

モノレールの車窓は、しかし、何かがおかしかった.

浜松町に到着すると、エスカレータがストップしていた.

節電のためというアナウスが流れていた.

おにぎりがないコンビニに入ってさらに驚いた.

 

混沌として情報が入ってくると、これは本当にヤバいかもしれないと怖くなった11年前だった.