辨太郎日誌

特許・商標・意匠・著作権などなど知財を絡めて

弁理士手帳カバーの残念なエイジング

弁理士手帳なるものが発売されていて、2015年に本革の手帳カバーを買ってみた.

通常のビニルカバーはいかにも安物だったので重厚感を期待しての購入.

革製品のエイジングが好きで、この本革カバーもエイジングを期待したものの予想に反して期待どおりのエイジングが進まない.

多少のエイジングはあるものの、それよりもカバー表紙に刷られている菊花・桐マークと、「弁理士手帳」という金色文字の剥げ落ちだけが目立つ始末.

打ち合わせのときには手帳を机に並べていたものの、エイジングではなく単なる劣化が目立つようになった3年ほど前からは机の上に並べるのもみっともないので、かばんの奥底が定位置になっていた.

発売元の協同組合も紙リフィルからデジタルに移行していている.

使い続けたくなる気持ちから捨てたくなる気持ちに代わり、この度、事務所内の断捨離を機会に処分することにした.

 

前置きはここまでにして、弁理士手帳カバーを捨てる気にさせた理由を紹介しよう.

最近、再び手帳が気になり出した.

iPhoneでスケジュール管理しているし、アウトプットもキーボードなので手帳は基本要らない派.

字が汚いので昔からノートは取らない主義.

書く作業がほんとになくなってしまい、先日に受けた筆記試験なんぞは、恥ずかしくなるような字が突然書けなくなる始末.

これはまずい.

 

アナログ回帰したい.

と思って前々から気になっていた革手帳を買った.

白羽の矢を立てたのはトラベラーズノートのパスポート.

普段ポケットに入っているロディアの代わりにさせるため.

 

革製品は育てるモノ、そして育てるために数年がかかる.

なので買うときは慎重に選ばなければならない.

これまで残念な革製品をいくつか買ってしまった.

残念ながら弁理士手帳カバーも、そのうちの一つになってしまった.

 

 

非居住者が出願人の場合の消費税

外国出願人が日本に出願する場合の消費税の扱いという質問があって答えに困ってしまった.

外内出願といえば、外国事務所から依頼を受けるものが典型的.

免税扱い.

根拠は?

 

困ってしまうのが、非居住者の外国事務所から依頼されてはいても、請求書の名宛が事務所ではなく非居住者の場合など.

非居住者であっても免税取引と課税取引が存在することになる.

 

輸出取引の範囲を定めている消費税法施工令第17条2項7号

七 法第七条第一項第三号、前項第三号及び第一号から第五号までに掲げるもののほか、非居住者に対して行われる役務の提供で次に掲げるもの以外のもの
イ 国内に所在する資産に係る運送又は保管
ロ 国内における飲食又は宿泊
ハ イ及びロに掲げるものに準ずるもので、国内において直接便益を享受するもの

 

非居住者の出願業務を直接受任する場合は課税取引として扱い、中間代理人を経由する場合は輸出取引として扱う、という運用でよさそう.

外内出願=輸出取引というわけではない.

裁判所は真実を発見するところではない

トラブルは当事者が話し合って解決する.

解決できなかったときは裁判所で解決する.

だいたいの契約書に登場する常套句.

最後の砦となる司法解決に期待し過ぎていないだろうか.

 

裁判を経験したことがある人なら思い当たるところがあるだろう.

それは原告の負担が大きすぎること.

相手に何かをして欲しいという訴えを起こす場合、訴えを起こした側に課せられる手続きが多すぎるのである.

 

例えば、未払い債権.

債務者に支払いをして欲しいと訴える原告の手続きは、主張だけではなく、それを証明する証拠を用意しなければならない.

請求書があっても架空請求かもしれないから、何の対価としての請求なのかを証明しなければならない.

 

裁判は、請求により利益を得る方に立証責任を課すシステム.

だから原告がやらなければならないことが多すぎる.

 

請求だけで証拠が用意できなければ請求は認められない.

これが裁判というもの.

真実はどうであれ、裁判所は真実はわからない.

証拠を伴う主張を認めるだけ.

 

裁判で紛争を解決しようとするなら、常日頃から、証拠が用意できる環境を意識しなければならない.

最近は取引をメールのやりとりで行うことが多い.

証拠を残せるという点でとてもいい方法である.

なかには面倒なメールではなく電話をしたがる人もいる.

でも電話は辞めてメールに徹するのがいい.

 

いつトラブルがやってくるかわからない.

メールなら証拠を探し出せる.

 

書面での証拠が用意できなければ裁判は負け.

トラブルに昇華させてしまうのが弁護士

えっ、こんなことで弁護士をつけるの?

ということがあった.

それこそ電話の一本で解決するのに、なぜわざわざ複雑な解決方法を選ぶのだろうか.

 

弁護士が身近になったとはいえ弁護士をつけるべきではない.

裁判にもならないような日常の揉め事.

菓子折りで解決できることをトラブルに昇華させてしまうのが弁護士.

 

弁護士がついたから上手く収めてくれるだろうと期待するのは危険.

弁護士という職業柄、100%依頼者の利益のために行動しなければならない.

代理人であって仲裁者ではないのである.

 

商標や特許の侵害を解決したいときでも、相手に出す書面の最初は社内の担当者名で出すのがいい.

その段階で解決するのが賢い方法であり、その段階で解決しなければならない.

 

代理人名で書面を出した方が効果的であるという意見には反対である.

代理人が書く文章には心がない.

法的手段をとる、などの常套句を躊躇いもなく書くのが代理人である.

法的手段をとる、という文言が職業代理人が雛形的に使う常套句だとしても、相手はそれを脅しと受け取る.

 

いまほど弁護士が身近ではなかった時代、弁護士に依頼するハードルが高かった時代、トラブルはどうやって解決していたのか.

きっと良き仲裁者がいて、菓子折り持参で解決したに違いない.

訴訟は避けるが勝ち

付記弁理士という制度が始まったとき、弁理士も訴訟代理人になれるということで話題になった.

付記がなければ弁理士に非ずという空気が醸成され、調べたことはないが付記弁理士の方が平弁理士より多いかもしれない.

 

侵害訴訟に興味がないわけではなかったが、訴訟代理人でなくても従前どおり保佐人として訴訟に参加できるので、それで十分.

 

弁理士に限らず弁護士以外に訴訟代理権を付与する仕組みができあがっている.

しかしどれだけの人が付記士業に訴訟を依頼するだろうか.

弁護士は弁理士その他の士業とは求められるものが違う.

弁理士に求められるものは技術的な専門性、知財制度に対する専門性.

それらはないよりマシという程度で訴訟では役に立たない.

 

訴訟で求められるのは相手が嫌がる攻撃を仕掛けること.

依頼者の利益になることなら何でもやらなければならない.

刑事弁護人がいきなり被告人の無罪を主張するというあれである.

 

そして現実的な問題として訴訟件数自体はとても少ない.

聞くところによると、地裁の侵害訴訟が年間500件程度、そのうち特許侵害訴訟は45%程度という.

これが増加傾向というわけでもなく、横ばい・漸減傾向.

 

弁護士のなかでも特許訴訟を扱える人は数少ない.

だからいって特定の特許弁護士以外に特許侵害訴訟事件が回ってくるとは思えない.

少ない侵害訴訟事件が特定の特許弁護士に集中し、そもそも審理期間が長いのが侵害訴訟だから審理が長引いても裁判官も気にしない.

特許弁護士が少なくても、特許以外なら技術アルレギーの弁護士がいる.

 

そしてここからが本題.

訴訟に対する懐疑心.

訴訟が機能しない.

 

訴訟で繰り広げらていることは揚げ足取りと時間稼ぎに過ぎない.

こんなことまで立証させるの!というようなことから、難しいから分かりやすくして欲しいというオネダリ.

地裁の裁判官が知財制度を理解するわけもなく、相手側代理人も知財制度を知らない.

一ヶ月に一回あるかないかの審理にもかかわらず、書面を前日に提出したり、提出せずに「精査中」の言い訳.

訴訟するまでもない論点でも、相手が無茶なことを要求したり逃げ回っているがための消極的な訴訟.

ようやく判決が出ても時間稼ぎが目的だから控訴は当たり前.

 

控訴判決がでるまでに実に3〜4年.

これで開放されるかと思いきや、判決が執行されるとは限らない.

強制執行となれば、さらに時間と費用がかかる.

判決なんか放っておけ!裁判なんか怖くないと思う猛者もいて、そうなると判決文はただの空証文.

 

弁護士が上手く解決するというより、弁護士が訴訟活動を複雑にしてしまうから余計に時間がかかる.

 

裁判は身も心もすり減らす.

人的金銭的資源が不十分な個人、中小企業は絶対に訴訟に頼ってはいけない.

実務研修で実務は身につかない

コロナ渦のおかげで東京まで行かなくてもオンラインで研修を受けることができるようになったのはいいのだが、研修を受けたことによりクオリティが上がっているのだろうか.

 

研修があることはいいことだし、リアルではなくオンラインで受講できることも悪くない.

しかし何かが違う.

 

思うに研修を受ける目的がボヤケているからではないだろうか.

 

オンラインで受講できる環境というのはとても素晴らしく、弁理士受験のときも講義をオンラインで受講したことがある.

予備校の一室に設置されたモニタと対面して受講する方法であるが、リアル講義と比べて効果が低いということは決してなかった.

 

このときの目標は言うまでもなく試験合格.

試験合格というはっきりした目標があり、合格したいというモチベーションも高い目標である.

 

弁理士会が行う実務研修を受講する目的は何か.

実務能力を担保するためということになっているが、「弁理士試験合格」に比べれば遥かにボヤケた目標である.

そして実務研修を受ければ実務を受けることができるようになるのか?と言えば、これは違う.

何が違うのかと言えば順番が違うのである.

 

依頼された仕事を処理するために研修を受けるというための「実務研修」なら緊張感はあるかもしれない.

しかし、将来発生するであろう実務のために受講する「実務研修」では実務は身に付かないのである.

 

実務を身に着けたいのであれば、研修を受けるのではなく実際の実務を行わなければならない.

 

経験したことがない実務であっても興味があれば、まず引き受ける.

依頼があれば完成させなければならないという緊張感が生まれる.

未経験であれば当然苦労はするが、その苦労は弁理士試験に比べればはるかに有意義である.

 

弁理士の実務能力を担保するための実務研修制度.

しかし実務研修を受講してポイントを積み上げるために仕方なく受講しているのは自分だけだろうか.

起承転結で説明する特許明細書

優れた発明も文章が稚拙であれば特許にならず.

稚拙な発明でも文章が巧妙であれば特許になる.

 

発明を文章で表現するときに、どのように頭を悩ませているのかを紹介してみようと思う.

発明を文章化するときの枠組みが存在しており、枠組みに従って発明を説明していけば、わかりやすく発明を説明することができるようになっている.

 

枠組みと言われても想像がつかないと思うので、起承転結をイメージしてほしい.

発明が起承転結の流れで説明されている.

 

起承転結がどのように機能しているかというと、

「起」で従来技術を特定して、「承」で従来技術を説明する.

「転」で発明に至らしめる理由を解析して、「結」で実施形態を説明する.

 

各パートの難易度は、結<起<承<転というのがわたしが感じているところ.

その理由は以下のとおり.

 

抽象的な発明の具体例を書くパートが「結」.

このパートを書くときは無心である.

ただただ淡々と具体例を書き下ろしいく作業を行う.

記載量が最も多くなり体力的にきついが、精神的には楽というのがこのパート.

 

「起」では、数多ある従来技術から、その発明にふさわしいであろう従来技術を見つけて書く.

「起」にふさわしい従来技術を見つけるのは意外と難しい.

最初でつまずいたら稚拙な特許明細書になってしまうから.

 

「起」で特定した従来技術を説明しながら発明へアプローチしていくのが「承」.

「承」で渾身の力を込めて従来技術を説明する必要はなく、ほどほどに書くのがいい.

従来技術を一生懸命説明したところで公知情報であり何ら新規な情報を開示しないから、ムキになる必要はない.

 

いちばん難しいのが「転」.

「転」は、それまで説明した従来技術の問題を指摘し、その問題がどのような理由なのかを技術的かつ定性的に分析するパート.

ここの分析が鋭ければ鋭いほど発明が明確になり権利範囲を正確に特定できる.

ここの分析が甘いと発明がぼやけて権利範囲の特定も甘々になる.

だから「転」は難しい.

「転」が完成すれば、あとに控える「結」は易しい.

 

「転」の位置づけを説明したあとは、その応用を説明してみよう.

「転」が詳細に書いてある明細書と、そうでない明細書がある.

後者の場合は、2つの理由があって、分析していない、理解していないから書いていない、書けないから書いていないという稚拙な理由と、敢えて書かないという戦略的な理由がある.

 

稚拙な理由は論外だが、敢えて書かないという戦略的な理由は、発明をぼやかした状態で上程するため.

特許明細書は特許審査官に発明を理解してもらうためだけではない.

競合第三者に対して有益な技術情報を無料で提供しているのである.

 

発明に至らしめる理由を分析した情報が書かれている「転」は、ここを読めば発明のエッセンスをも理解できる重要なパート.

だから敢えてその情報は書かない.

書いたとしても書きすぎない.

 

AIが特許明細書を書く時代と言われることに懐疑的である反面、ぜひとも発明の文章化を手伝ってもらいたいという好奇心.

AIが起こした明細書を分析してなるほど感心してみたい.

短文投稿のトレーニングを始める

目的もなく適当なつぶやきではフォロワーもつかず、かと言って気の利いたつぶやきもできず鳴かず飛ばずのTwitter.

せっかくつぶやくなら、ということで短文トレーニングを始めることにした.

140字で起承転結は無理としても、言葉を選んで言いたいことを伝えるためのトレーニングである.

文字制限がないブログと違って、言葉を選び、何を書いて何を書かないかを吟味しなければならないTwitterは文章にキレ味をもたせるためのトレーニングとしては最高のツール.

 

これまで文章術という本はいくつか読んではいるが、いずれも学術論文など長文を書くことを想定したもの.

そんなときにTwitterで紹介されていたのがコレ↓

 

いままで読んできた長文前提の文章術ではなく、文字どおり「3行で撃つ」ための文章術である.

 

紛いなりにも文章を書くことを生業にしているとはいえ、3行で撃つ文章を書くためには、言葉をただ並べるだけではすぐに字数制限に引っかかってしまう.

一言で10倍も100倍も表現できる表現が必要になるが、この文章術は特許明細書を書いているだけでは育たない.

もっとも技術論文として特許明細書では、三行で撃つような文章術は必要ないものの、例えば、依頼者とのメールにおいて、でしゃばり過ぎない奥床しい表現は美しい.

文章も年相応でありたい.

 

著者は新聞社出身という生粋のライター、指摘するところは琴線に触れること多数.

「琴線に触れる」というような常套句に対する苦言も呈していて、常套句を使いは猿真似以外の何物でもないとは言い得て妙.

ちょっと文章を固くしようと思ったときに常套句を持ち出せばいいと思っていたので、常套句猿真似の指摘は新鮮である.

 

日本語ネイティブだから日本語を書くことは簡単.

AIが文章を書く時代にあって、何をどのように書くのか.

短歌・俳句のような文章がその答えなのだろう.